銀幕に恋して、涙して 
  • ナビィの恋  (2000.8)
  • 八月のクリスマス(2000.10)
  • 初恋の来た道 (2002.3)
  • カサブランカ  (2002.12)
  • ひまわり  (2002.12)
ナビィの恋
余命幾ばくもない人生の最後に来て六十数年前の初恋の人と出奔するなんて、とんでもない話であり、いまだ初恋の頃を思い出す自分にとっては夢のように羨ましい話でもあり。
今や全国区となった平良とみさんのオバァと沖縄民謡界の大御所、登川誠仁(ノボリカワセイジン)のオジィの自然体の演技、殊に登川誠仁の飄々たる雰囲気そして時々見せる茶目っ気は特筆すべきもの。初恋の人と晴れて旅立ったオバァはともかく残されたオジィの立場はどうなるの?!と言いたいところだけどそこはそれ、沖縄(粟国島)の明るい日差しと青い海、そして紅の花の彩りに幻惑されてハッピーエンド。この作品、単館ロードショーを見逃し半年ほど後、名古屋のとあるミニシアター(三越劇場)での再映を知り観ることができました。ちょうど帰り、日赤の病床にある若い後輩(不帰の人となった)を見舞ったこともあり感慨深い映画となりました。そして後に「オキナワをうたう〜登川誠仁自伝」を読んだときその中でこの作品のモチーフとなったであろう「十九の春」を劇中で歌っていた嘉手苅林昌(カテガリリンショウ)さんが公開を前に亡くなったことを知ったことも印象を深めました。 

八月のクリスマス

この作品と前後して同じハン・ソッキュ主演の「シュリ」を観ました。 初めて観る韓国映画だったように思いますが、ハリウッド映画を凌駕しようかという圧倒的スーパーアクションとストーリー展開に魅せられたところでのこの作品。「シュリ」とは全く正反対で日常を淡々と描いた作品でその落差と、ハン・ソッキュの演技の幅の広さに驚きました。まるで大好きな小津作品を観てるようで起伏あるドラマチックな展開などないのに強く胸を打たれエンドロールの流れる中、しばらくは深く余韻に浸ってしまいました。あえて結実を望まなかった恋と人の命のはかなさ・・・泣けました。かつて好きだった幼なじみとの再会シーン、その会話。印象に残りました。それにしても雪のシーンはあるけれど、どうしてタイトルが「八月のクリスマス」なのか?

初恋の来た道

こういった作品が大々的なロードショウでなく単館でしか公開されないのは寂しいこと。
これを観たのも柳ヶ瀬のミニシアター。この前に観た中国映画「山の郵便配達」同様中国の僻地が舞台。現在がモノクロ、四十数年前の回想シーンがカラーで描かれているのは初恋の頃はいつまでも色褪せず鮮やかな彩りを放ち続けるということでしょうか。僕の場合もそうだなぁ。自由恋愛がほとんどなかった時代、校舎もない田舎へ赴任してきた先生に恋をした
少女の一途さ。少女役のチャン・ツィイーの笑顔。この映画のイメージカラーは?と問われれば紅い(ピンク)だろうか。中国大陸の雄大な風景にチャン・ツッィイーの紅いが見事に際だって見えます。やっぱり四十数年前、小学校低学年の頃、学校に新しい先生がやって来た頃の事が懐かしく思い出されました。この作品に胸を熱くするのはおじさん世代のノスタルジーからだけか、今の若い人はどういった感想を抱くのか、世代を超えて感動を共有したいのは無理なのか。ちょっと前「バトル・ロワイヤル」が話題となりましたが、映画評論家が何と言おうとどう逆立ちしたってこういう作品を薦めることもできないし、二度と見たくもない。「初恋の−」を観て同じような感動を受けた人とだけ話をしていきたいなぁ・・・と、過激発言で閉めます。

カサブランカ

2002年暮れ、名古屋納屋橋の名宝会館が閉館となりました。名古屋の中でも大型で老舗の映画館ではなかったでしょうか。もっとも名古屋に暮らしていた時分よく行ったかというと、唯一『生きる』を観たのがこの劇場だったのではと思うくらいで、納屋橋といえば交差点角の『焼鳥屋』というまんまのネーミングの焼鳥屋で6〜7回呑んだという記憶が強いのですが・・・。一番最近観たのが「Shall we dance?」だったか。
それはさておきその最後の興行作品の中にラインナップされていたのが『カサブランカ』と『ひまわり』
館内は年配の方々を主に数十年前の映画全盛期を彷彿させるかのごとき盛況でごったがえして、最後になってこんなに来なくっても今までに平均してこの半分いや三分の一でも来てくれりゃいいのにと思った次第。

この映画を観たのは今回初めて。あまりにも有名なせりふ、
「君の瞳に乾杯」
「夕べはどこにいたの?」「そんな以前のことは憶えていないよ」
「今夜は会える?」「そんなに先のことはわからないよ」
どんな場面で使われた言葉かやっとわかりました。
それにしてもハンフリー・ボガードのでかい顔はイケメンとは思えないのですが(なんだか片岡千恵蔵がオーバーラップする)そのダンディズムには惚れ惚れしてしまいました。身の危険をかえりみずかつて愛した(もちろん今でも愛情を抱いてるであろう)女性とその夫のナチスからの逃避行に力を貸すその心中はいかばかりか・・・?かたやイングリッド・バーグマンの息をのむ美しさ。館内ではかつての若人たちの銀幕を見入る思い入れが伝わってきます。終戦直後、この映画が娯楽に飢えていた日本人に与えたインパクトはどんなだったか、オンタイムで観ることができた人が羨ましい限りです。

ひまわり

何と言ってもこの映画を印象づけるのは広大なウクライナのひまわり畑をバックに流れるヘンリー・マンシーニの音楽でしょう。あのメロディーを聴くと瞬間胸きゅんものです。
夏の花ひまわりがあんなに哀愁を帯びた哀しい花だと思わせるのはその音楽のなせる神業か。
このてのストーリーは珍しくもなく「シェルブールの雨傘」もその一つで結末はわかっていてもレールの上に乗っかった電車のように行き着くところは涙。折りしもこの秋口、北朝鮮に拉致されていた日本人の方々が二十数年ぶりに帰ってこられたということがあり、その事が重なり感慨深いものがありました。失われた時間はどうなるのか?と。実はこの作品、若い頃、ビデオで観たことがありますがその時はそれほどの感慨もなかったのに、深く胸にしみたのは加齢によるものか、いや大スクリーンで観たからでしょう。